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第十一回 米国の放牧地

アメリカ牛肉の 輸出に大打撃自傷

 アメリカの強い要求で、狂牛病の恐れが完全に払拭されたわけでもないのに、アメリカ牛肉の輸入解禁に踏み切った日本。
 一方、アメリカは、生まれて二十ヶ月までの牛肉に限っての輸出再開を認められてわずか一ヶ月で、「国際基準に合わせて三十ヶ月まで輸入を認めよ」と圧力を加えてきました。
 その矢先、狂牛病病原体が濃厚に含まれている恐れのある特定危険部位の神経組織を含む牛肉を輸出してきたことが明るみに出ました。
 日本側の水際検査で見つかり、再び輸入にストップがかかりましたが、何と輸入牛肉にはアメリカ政府機関の検査済み証明書が添付されていたということです。輸出に携わったアメリカの会社も、アメリカ政府機関も、如何に日本側を舐めてかかっているかがよく見える構図です。
 日本政府にもここは、「輸入禁止は過剰反応だ、おかしな点は改めるので早速牛肉再開を認めるように」というアメリカの圧力に耐えて、アメリカ側に対して、「世界の支配者としてご主人面するのではなく、もっと食の安全、環境の保全に真剣に取り組まないと日本や世界の人々からは相手にされない時代になってきたよ」と悟らせるようにしてもらいたいものだと改めて強く思います。
 連載を重ねて紹介しているアメリカで出版されている『もう肉も卵も牛乳もいらない!』(早川書房)をこの機会に是非書店で購入し、愛読されますように。今回は米国の放牧地の章の紹介です。
 アメリカの牛は広大な放牧地で飼われるので安全だみたいなことが良くいわれますが、それが如何に根拠がないことか、逆にひどい環境汚染のもとになっているのがよくわかります。

米国の放牧地(要約)

 強面の全米肉牛生産者協会にもの申すには勇気がいる。強大なロビー活動、弁護士団、そして米国の放牧地にしっかりと根を張った既得権のおかげで、この団体は手強い。しかしリン・ジェイコブズは、いまや彼らのお決まりの主張に押し切られず、牛の放牧が環境に及ぼす破滅的影響に目を向けるときだ、と言う。
 動植物に囲まれながらも、そこで最初に気づいたのは匂いだった。さまざまな匂いが甘く混じり合って、肥えた土から立ち昇ってくる。草花、葉、小枝などが土に戻っていく時の香りである。近くの花から聞こえる虫の羽音に耳を澄ますと、数種類のそれが混じっているのがわかる。そこここに点在する立木や灌木の間を埋める平原には、さまざまな色合いの野生の花が咲き誇っている。すれ違いざまに低木が揺れた。中でウズラが跳ねていた。トカゲが素早く走りまわり、ウサギが飛び跳ねて逃げる。これがアメリカの平原だ。二〇〇年前、後の米国西
部地域となる土地全体に、これほどの生命が満ちあふれていたのだ。
 リンと私が訪ねたのは、アリゾナ州ツーソンの郊外にある、そうした過去のよすがをとどめた未放牧の草原だった。公有地における放牧の廃止運動を指揮するリンは、ここが放牧地と非放牧地の違いを知るために最適な場所だと教えてくれた。「この一平方マイルの囲い込み地は、過去半世紀のあいだ牛の放牧に使われていません」と彼は言った。「たいていの人は、アメリカの放牧地の本来の素晴らしさを知りません。見たことがないからです。放牧地と聞いて人々が思い描くのは、吸血鬼に襲われた後です。再生のために最低限必要な生命まで食べ尽
くされた後なのです」
 私たちは、鳥の鳴き声と虫の羽音を聞きながら、草原を歩いていった。こんもりしたバンチグラスが群生している。リンは、それがいくつかの種類から成り立っていることを教えてくれた。その時、有刺鉄線が見えてきた。それを乗り越えた先は荒涼としていた。二人で数ヤードほど黙って歩きながら、私はそれまでとはまったく違う印象を受けていた。

失楽園

 フェンスを越えたこちら側は、ずっと静かだった。甘い香りはのっぺりした埃くさいそれに取って代わった。野草や昆虫やトカゲなどの数もずっと少なかった。バンチグラスもフェンスを越える前のざっと三分の一ほどしかない。リンの話では、生き物は約三分の二ほど少ないということだった。群生する束状草類はほとんど、根元まで牛に食べられていた。
 私は生き残っている雑草を指さした。「少しは草もあるのですね」
 「ええ、でも在来種ではありません」とリンは言った。「アジア原産の外来種です。こうした草や、棘や毒のある植物ばかりが残っていくのです。他の植物はすべて牛に食べ尽くされるか、踏みつけられて枯れてしまうからです。フェンスの両側の違いは、牛の放牧が行なわれているかどうかだけです。牛さえいなければ、こちら側の土地だって、同じほどの命を支えていけるのです」
 「牛が食べたものも、結局は土に還っていくはずでしょう?」
 「いいえ、まったく違います」とリンは言った。「第一に、牛は放牧中に一〇〇キログラム以上も成長します。つまり、数千キログラムものバイオマス(生物量。ある地域に生存する生き物の量)がそっくり失われるということです。餌になった生物は放牧地から消滅し、太った牛はトラックで運び去られていきます。放牧地の命は失われたきりです」
 リンは、地面に点在している牛の糞に近づいた。蹴っ飛ばすと、糞の固まりはそのまま数フィートほど吹っ飛んだ。
 「見て下さい」彼は言った。「牛の糞は、他の野生動物の糞とは大違いなのです。この土地に生息する他の動物は小さな粒状の糞をしますが、それらは乾燥した気候でもすぐに分解して土に還っていきます。牛の糞は湿った泥炭状で、天日を受けるとすぐに乾き、数カ月、場合によっては数年間も分解しません。スタンフォード大学の著名な生態学者ポール・エーリックは、牛の糞を排泄物舗装≠ニ言っています。糞に覆われると、どんな動植物も根絶やし同然になってしまうのです」
 リンが言った。「いいですか、いま見てもらった土地はすべて公有地なのです」

私用に供される 公有地

 延べ一二二万四〇〇〇平方キロメートルの土地が私的な放牧経営に使われている。これは西部一一州の土地の四一%にあたり、米国本土四八州(五〇州からアラスカ、ハワイを除いた残り)全体の二五%にあたる。私有地を含めると、西部の土地の七〇%が牛の放牧に使われているのだ。
 「放牧はむごいものです」リンは言った。「年を追うごとに、放牧地は荒れてゆきます」広大な放牧地を牧畜一業種の管理下においてしまう慣例をつくったのは、西部開拓時代のことです、とリンは話し出した。「一八〇〇年代、牧場主たちは米国政府から一エーカー(〇・四ヘクタール)当たりわずか数ドルで牧畜用に土地を買い取りました。事実上、土地を無償で払い下げたようなものです。西部開拓は、ネイティブ・アメリカンやメキシコ人勢力を追い払うのに好都合だったからです。比較的わずかな土地を買った牧場主たちは、たいてい隣接する
数平方キロメートル、あるいは数十平方キロメートルもの公有地でも放牧できる特権を手に入れたのです」

失われた野生動物

 「かつて大西部を自由に闊歩していたハイイログマ、オオカミ、レイヨウなどさまざまな野生動物が姿を消し始めたのは約一世紀前、牛の牧畜が広まった頃です。いまや野生動物保護の重要性への意識は高まっていますが、一握りの特殊利権保有者が、こうした動物たちが再び棲みつくのを阻んでいるのです。そしてこうした野生動物の抑制は、牛の放牧に直接関係しています」
 一八七四年の有刺鉄線の発明は牧場主たちにとっては福音で、普及は瞬く間に進んだ。これは安価で、補修も割合に簡単だった。牧場労働者は簡単にまたぎ越せるが、牛は越すことができない。このため、有刺鉄線は数十年に渡ってありとあらゆる土地に張りめぐらされていった。「一九〇〇年頃には、西部の大半は有刺鉄線で縦横に分割されていました」とリンは言う。
 有刺鉄線は、家畜ばかりか、野生動物の移動も効果的に制限した。大型哺乳類のいくつかはこれを越えることができず、広大な土地を移動する習慣のある動物たちは餓死していった。冬になっても餌を求めて移動することができなくなって、定期的に集団死を繰り返したのだ。「たいていの人は、有刺鉄線は家畜を逃さないためのものとしか思っていません」とリンは言う。「これが破滅的な放牧農業の道具であり、野生動物に対する潜在的な脅威になっていることは見過ごされています」
 寒い地域の牧場では、冬の間は牛に干し草を食べさせるのが普通である。しかしあたりの野生動物は、牛に草を取られて飢えてしまう。「牧場主たちは、牛と餌を争うと思う動物は、すべて攻撃してきました」とリンは言った。

活動家誕生

 リンは牛の放牧に使われている西部の土地について考えるようになった。全体像についての調査や試算をしてみると、米国における放牧には、八〇万キロメートルの有刺鉄線と、同じ長さの砂利道が必要になるはずだった。その費用の大半が連邦政府によってまかなわれていることもわかった。さらに、公有地の水を独占しているのは牛たちであり、周辺の植物は踏み散らされて荒れ果てていた。
 リンは数年間に渡って西部のすべての州を旅し、公有地の有様を自ら目撃して、米国西部地域における家畜放牧は破滅的な土地の使い方であるという結論は、疑う余地もなかった。
 一方、知り合いになった放牧関係者たちは牧草と牛以外は、利益にならないのであればすべて無価値と見なしているようだった。それは自然観の衝突だった。

脅迫

 牧場主の中には風向きの変化を懸念し、脅威とおぼしき者たちへの暴力の行使をほのめかす向きもあった。一九九〇年、破滅的な過度の放牧に手を焼いたアイダホ地区レンジャーのドン・オーマンは、管轄する土地における放牧頭数を一〇%削減するよう求めた。《ニューヨーク・タイムズ》はこれに対する牧場主ウィンスロー・ホワイトリーのコメントを引用している。「オーマンが去らなければ、彼は事故に遭うかもしれない。一人でいるところに出くわしたら、自分も他の許可証保持者も、奴の首を掻き切ってやるところだ」
 ここ数年、アイダホの公有地で公務を執行する放牧地区管理者たちからは、不安の声が上がっている。
 一九九五年、同州の土地管理局は、決して単独行をしないこと、無線通信を絶やさないことをレンジャーに指示した。一方ネヴァダでは、土地管理局のミシェル・バレットが「もはやわれわれが(身の危険を感じて)立ち入らない区域もある」と認めている。
 リン・ジェイコブズも時折、牧場主たちの敵意を感じている。家族とともにニューメキシコに住んでいた頃、何者かが愛犬ミシュカを撃ち殺し、皮を剥いで近所の道ばたに捨てていった。アリゾナに移ってからも、車のタイヤのナットが緩められていたらしく、危うく転覆しそうになったことが二度ある。いずれの時も子供を乗せていた。
 タブロイド判小冊子を出版すると、嫌がらせもそれに応じて形を変え始めた。資料請求が山のように届いた週もあった。ある牧畜業界紙の編集者が、リンに負担をかけてやろうと呼びかけた結果だった。
 こうした妨害にもかかわらず、リンの運動は勢いづいていった。タブロイド判の実績を見て、環境保護団体がリンのプロジェクトに資金援助し始めたのである。
 彼は人々に、事実に即した議論の進め方や、実効性のある政治的働きかけの方法を教えてきた。
 しかし、集会に一度も参加せず、議員に手紙の一本も書かずに、西部の土地、水そして天然の動植物相を守ることもできる。牛肉の需要を減らせばいいのだ。より多くの人々が資源を浪費する食材を食卓から追放すれば、肉牛生産に使われる西部の土地はそれだけ減るのである。