第九回 乳牛・肉牛の飼育

米国牛肉 輸入再開へ

 今年十一月中旬、アメリカのブッシュ大統領の訪日に合わせるように、BSE感染の恐れありということで二年ほど停止していたアメリカ産牛肉輸入が、とりあえず生後二十ヶ月以内のものに限り、解禁される流れに道が開かれました(43頁参照)。
 月齢二十ヶ月かどうかのチェックは確たる証拠なしにおおよその見当でされるようですし、国際基準だということで、すぐ三十ヶ月にされるレールが敷かれています。
 一方で、十一月下旬には、アメリカで生活するアメリカ人の中にBSE感染と見られる新たな脳症患者が見つかったとも報道されました。
 詰まるところ、「絶対の安全は保障できない、よほど運が悪くない限り、まず大丈夫でしょう」、ということでの政治決着なのでしょうから、私たちとしては牛肉は金輪際食べないとする以外、BSE感染から身を守る方法はないということになります。
 ブタにしろ、ニワトリにしろ、マトンにしろ、肉は栄養がとれるし旨いというので人気があるわけですが、それらを好んで食べるようになって、@ヒトは奇病・世界的に蔓延する命取りの伝染病の不安に絶えず脅かされるようになったこと、A肥満・血管心臓病・糖尿病・ガンなどをはじめとする生活習慣病で倒れる人が多くなったことは否定のしようもありません。
 森林あるいは草原で狩りをして食用動物を捕まえる不確実性からいえば、家畜として繁殖させ、それを食用にする商品として売るという方が、遙かに経済効率が良いというのは、誰が考えてもそうなのですが、ここには何の倫理的規制もないので、本誌に長年寄稿してくださっている文明評論家の太田龍先生のおっしゃる「はじめは家族の一員でもあった家畜を飼うことが、産業化とともに次第に消費者を含め、畜産に関連する人々の心を荒廃させ、ついにはヒトの家畜化をもたらすようになってきた」という根元的批判に、今こそ心ある方は耳を傾ける
べき時だと思います。
 日本綜合医学会の甲田光雄会長も「愛と慈悲≠フ心無くしては、菜食生活、少食生活は出来ない」と教えておられますが、食用とされる動物の飼育のされ方の実情から目を背けさえしなければ、普通の感覚の人であれば、動物性食品はまず食べられない程度の「愛と慈悲」の心はわいてくるはずです。
 そうなると、動物性食品を食べる人が激減するので、そうならないよう、実情に対してへの隠蔽が行われているので、普通の人は、家畜飼育の現状をほとんど知らないのです。
 マーカスさんの『もう肉も卵も牛乳もいらない!』では、その隠されたアメリカ畜産の実情の一端を教えてくれています。是非、エリック・マーカスさんの『もう肉も卵も牛乳もいらない!」』を書店でお求めになり、常に座右に置いて下さい。
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乳牛・肉牛の飼育

 大企業が乳牛や肉牛の畜産を支配するにつれて、牛の健康への配慮、精神的な安らぎ、そして自然の摂理は無視されている。
 子牛肉になるヴィール牛は立ったまま狭い枠箱に監禁され、多くの乳牛は、出産後三ヶ月も経たないうちにまた種付けされる。肉牛の飼育環境はあらゆる食用動物の中で最もましだが、それも放牧場から出荷前の肥育場に移されるまでで、そこでは鶏舎の敷き藁や糞混じりの「餌」を食べさせられることもある。
 大規模酪農場では、より少人数でより多くの牛を飼うことによって、コスト節減をしている。ニューヨーク州シラキュースの、ある酪農家協同組合の組合長クライド・ラザフォードは、いまに作業員一人当たり、年に五〇〇トン以上の牛乳を生産するようになるだろうと予測している。今日、酪農業に参入してやっていくには、通常一〇〇〇頭から三〇〇〇頭の乳牛が必要である。業界筋も、今日の酪農業がかつての独立中小農家中心のころから大きく変わってしまったことを認めている。アグリビジネス界の代表的な業界誌《フィードスタッフス》に二
〇〇〇年一月に掲載されたあるコラムにいわく、「〔現代の大半の酪農家は〕各種の現実的な目的のために、ウォール街の原則を取り入れた工場農家である」。

雌牛と子牛

 九〇%以上の子牛は、生後二四時間以内に母親から永遠に引き離される。酪農場によっては、生まれた瞬間に母子を離れ離れにする場合がある。約五頭に一頭の子牛がこうした運命をたどる。その他の生まれたばかりの牛のほとんどは、母牛とはわずか数時間しか一緒におらず、母牛の乳首から乳をもらえる子牛はその半分もいない。母子がともに悲しんでいるのは一目瞭然だと言う。
 牛はもともと二〇年ほども生きる。しかし、三歳を超える頃から、妊娠する度に産乳量が減っていく。そのため五歳ごろになると食肉処理場に送られ、新しい牛と取り替えられる。こうした廃乳牛の肉は、性的に成熟する前に去勢した雄牛に較べて固い。したがって主な用途はファストフードのハンバーガーやその他の安い挽肉である。
 毎年、病気による衰弱で立てなくなる牛は数万頭に及ぶ。衰弱して倒れた牛はダウンド・カウ(もしくはダウナー)と呼ばれて殺される。治療を施しても経費がかかるばかりだからだ。自力で立てなくなっても、息があるうちに食肉処理場に持ち込めば合法的に人間の食用にできるので、ダウナーはしばしばトラックに引きずり込まれて食肉処理場送りになる。
 鶏卵業界と同様に、生まれた牛の半分は、要らない雄である。酪農業界ではこれをヴィール(食肉用子牛)産業に売る。

ヴィール牛

 ヴィール牛は、あらゆる牛の中で、もっともひどい扱いを受けている。子牛は産後すぐに殺されなければ、高価な「ミルク育ちのヴィール」になる。たいてい産後すぐさまか、遅くとも生まれた日のうちには母牛から引き離される。肉の柔らかさという値打ちを保つため、子牛は筋肉を発達させないよう普通に動くことすら許されない。そのため、肩幅よりわずかに広い程度の木枠の中に鎖でつながれる。白みがかった「ミルク育ちの」ヴィール肉と聞けば、母牛の乳を飲む姿を思い描くかもしれない。しかし、現実はそうではない。子牛たちには、得て
して強力な抗生物質を含む代用乳が与えられる。この「ミルク」はぬかりなく鉄分抜きにしてある。ピンクがかった白い理想的な肉を生産するために、牛を貧血にしなければならないからだ。
 ヴィール牛は生後一六週間で木枠から出される。生まれてすぐに木枠に押し込められてから、初めて解放される瞬間だ。そしてそのままトラックに乗せられ、食肉処理場へと運ばれる。

肉牛

 「ひづめつきの靴革」などとも呼ばれる肉牛は、食肉や副産物のために飼育され、一般に荒々しいが鈍感な動物と考えられている。最後に人間様の役に立つまでは、群れごとつつき回されるのが当然と思われているのだ。
 米国の肥育場の中で家畜をきちんと扱っているのは、わずか二〇%〜四〇%。それどころか、「約一〇%は慢性的な虐待者で、不必要で過度な虐待を許している。牛を投げたり、傷ついた動物を虐待したり、または宗教上の理由から解体に先立って牛を生きたまま宙づりにするという暴力的な拘束法によってである」という報告もある。残る五〇%〜七〇%の肥育場では、無能力や管理不足による虐待が見られる。

 肥育場が存在するのは、牛の値段が重量ベースで決められるためである。牛には、絶え間なく餌を食べ続ける習性がある。進化上、草、葉、灌木などのカロリーの低い繊維質を食べるようになっているため、こうした習性が必要なのである。
 肥育場のオーナーはこれを利用して、草よりもずっとカロリーの高い濃縮飼料ばかり食べさせる。数週間もすると、牛は自然な体重よりも一〇〇キログラム以上も大きくなる。濃縮飼料はこのように利益増大には寄与するが、植物を消化するために四つの胃を持つ牛の消化器系には不適切である。
 肥育場のオーナーは、できるだけ費用をかけずに牛に蛋白質とカロリーを与えるために、あらゆる手を尽くす。研究者によっては、鳥の羽根や血を牛に与えることを推奨しているが、これなどはまだましな方かもしれない。ブロイラーのゴミ─糞、敷き藁、その他の廃棄物─は、飼料用穀物よりもずっと安い牛の餌だ。過去数年、ブロイラーのゴミを牛に食べさせることは、普及の一途をたどっている。
 肥育場の牛は、成長を促進するためにホルモンの錠剤を埋め込まれているが、これは異常な暴力的行動を誘うことがある。埋め込んだ錠剤が体内で割れると、血中のホルモン濃度が急激に高まり、「ブリング」と呼ばれる攻撃的な性行動を誘発するからだ。これは他の牛に対して無理にマウンティング(交尾行動)を仕掛けることだが、仕掛けられた牛はひどく傷つくし、そこから感染症を起こす。
 肥育場では牛が巻き上げる砂のせいで空気の汚染がひどく、牛の呼吸器に障害をもたらしている。肥育場で死ぬ牛の三頭に二頭は、呼吸器疾患を持っている。
 しかし牛が大量死しない限り、肥育場のオーナーは死因を調べようとはしない。肥育場で牛が死んでも、獣医に検死を依頼する割合は二割に満たない。
 牛は肥育場で約二カ月ほど太らされてから食肉処理場に送られる。