第八回 養豚

養鶏と養豚が 鳥インフルエンザ 流行のもと

 前回の『もう肉も卵も牛乳もいらない!』の養鶏産業の章紹介のあと、ついにヨーロッパでも鳥インフルエンザの流行の兆しが見られはじめ、本格化すると一億人以上の死亡者が出るという見込みで、その感染を避けるため鶏肉や卵の消費者による大規模な買い控えがおきているというニュースが飛び込んできました。
 北から南にウイルスを持って国境を飛び越えてくる渡り鳥が鶏に糞や羽を落として感染させるほか、豚を介してウイルスを変身させ、それが人にうつり、人やカラスなどを介しても鶏にうつすルートも否定できないということです。
 養鶏場は一ヶ所で十万羽を越える飼い方をしていることもあり、感染が広がり出したら更なる感染拡大を阻止するため十万羽規模でも、皆殺しということもあるのです。日本では今年は茨城県で、去年は京都で大規模な養鶏場での数万羽規模での養鶏皆殺しが行われたことは記憶に新しいところです。
 豚の特異な鼻には、鳥のインフルエンザウイルスの受容体があり、人のインフルエンザウイルスの受容体もあるので、豚がたまたま両方のウイルスに感染したときに豚の体内で両方のウイルスが野合して人から人に感染し、しかも殺傷力のある新型のウイルスに変身することがあるとのことです(図)。
 数年前のことですが、マレーシアで飼われていた豚が数千頭皆殺しにされたことがありました。これは、養豚場が山に近いところに新設され、山の洞窟に住むコウモリから豚やヒトにとっては危険なコロナウイルスをうつされたからです。
 鶏の飼い方が如何に残酷な事態になっているかは先月号でご紹介した『もう肉も卵も牛乳もいらない!』の養鶏産業の章を見て戴ければ察しのつくことですが、同じことは養豚でも言えます。早川書房刊エリック・マーカス著『もう肉も卵も牛乳もいらない!』の熟読がそのきっかけになればよいとの念願をこめ、その内容紹介を連載していますが、今回は「養豚」の章の一部ご紹介です。

「養豚産業」

 一九八〇年代になると巨大企業が進出してきて、養鶏産業と同じ大規模飼育システムを持ち込んだ。こうした養豚場は、ほとんど息もできないほどの空気、不健康な動物たち、想像を絶するほどの過密飼育、そしてなけなしの利益率を伴う。いや増すコストを打ち負かして利益を上げるためのルールはシンプルだ。より規模を拡大し、人間の労働の余地を減らすことである。その結果、今日の商業生産体制下の豚たちには、ほとんど人目が行き届かない。

殺伐とした 飼育環境

 豚舎は最低コストで最大の豚を収容できるようにデザインされている。商業養豚舎では、コンクリート枠の床が標準である。これなら糞尿は枠の下の回収場所に落ちるので、清掃の手間が省ける。床全面がこうしたつくりになっている畜舎では、豚は敷き藁も無しに固い床に寝る。藁を敷いても床枠から落ちてしまうからだ。こうした床材の畜舎が増えるにしたがって、養豚業界では敷き藁の需要が減っている。しかし、各種の研究ではいずれも、敷き藁が豚の心理にも肉体にも望ましいことが証明されている。コンクリートの上に寝ることは不快なだけ
ではない。時間が経つうちに、深刻な健康被害が出る。関節の腫れ、皮膚の摩耗、そして脚部の深刻な擦過傷や病菌感染などだ。これは豚のストレスを増し、喧嘩や共食いの発生率を高める。
 一九九〇年の調査では、民間の養豚場の四箇所に一箇所が、一年に一度も獣医を呼んでいないことがわかっている。
 解体された豚六〇〇〇頭を対象にした最近の調査では、七一%が肺炎を起こしていた。これほど高率の呼吸器疾患の原因は、豚たちが四六時中耐えている空気の質のためかもしれない。養豚場に足を踏み入れた人は、反射的に息を殺し、鼻から空気を吸い込むまいとする。空気は塵まみれで、アンモニアのにおいが鼻を刺す。蒸発した豚の小便が舌にまとわりつき、肺に病的な重い感触を残す。養豚家たちは空気の質を改善するために手を尽くしているが、ほとんど進歩がない。業界は外の新鮮な空気を入れる方法を提案されても、費用が高すぎる、寒い
時期にはとりわけ金がかかると、拒絶している。
 養豚労働者は一時的に豚舎に入るだけだが、それでも呼吸器疾患を抱えている。米国、カナダ、スウェーデンの養豚労働者の六〇%は呼吸困難を訴えている。空気の質についてのある報告書は、こう締めくくっている。「さらなる研究を待つ一方で、われわれの結論は、塵を吸い込む危険を最小化するには、豚舎に入るときには常にガスマスクを着用することである」研究報告は、豚の健康については何も触れていない。

豚の一生

 生後間もなく、作業員は赤ちゃん豚の耳に識別用の切れ目を入れる。麻酔は用いられない。ケンカによる怪我を防ぐために牙も抜かれるが、この際も麻酔は使われない。雄豚は去勢されるが、これも麻酔なしだ。当然ながら、局所麻酔をしないときの方が、豚たちはより強く鳴き叫び、心拍数も上がった。
 豚は、できるだけ狭いスペースで飼育される。若い一一〇キログラムの豚一頭に対して、〇・八平方メートルのスペースが推奨されている。
 こうした過密飼育はスペースだけではなく、餌を節約する手段でもある。多くの人々が健康で自然と考える豚たちの徘徊行動は、好ましくないコスト要因なのだ。現代の養豚家は、豚たちができるだけ動かないことを望んでいる。豚が動きまわれば、高価な餌が身になる代わりに運動エネルギーとして消費されてしまうからである。豚を過密環境に置けば、身体活動は低下し、利益は増える。
 どんな豚の集団にも時折のケンカは付き物だが、ストレスをつのらせた豚は、互いにしっぽを噛みちぎり合うのである。鶏のつつき合いと同様に、豚のしっぽ噛みは飼育環境の過密度とストレスが増すにつれて激化する。生産者らはこの問題に対処するために、豚のしっぽを切ってしまう。またしても、麻酔は用いられない。豚のしっぽを切るのは、鶏のくちばしを切るのに実によく似ている。農家は暴力性を煽る過密飼育環境を改善しようとはせず、動物の身体を切り刻むことで問題に対処するのである。
 もう一つ、しっぽ噛みやケンカにつながることは確実であるにもかかわらず広く行なわれている行為は、なじみのない動物同士を狭苦しい場所に詰め込むことだ。鶏と同じく、豚も家族のような階級社会をつくり、これによって社会的な秩序を保ち、ケンカを防いでいる。慣れない豚同士が一緒にされると、こうした秩序が崩れてしまう。どの豚が優位かがわからなくなってしまうので、ケンカが発生するのだ。
 現代的な生産手法によって歪められているもう一つの自然な行為は、豚が餌を食べる方法である。野生の豚にとって、行動の中心は食べることや餌を探すことである。野生の豚は、歩いている時間の半分は何かを食べている。若木や木の葉、昆虫から時には小動物までが餌になる。この性質は工場農場ではまったく考慮されない。餌は一種類だけしか与えられないのだ。蛋白質豊かな濃縮飼料で急速に豚を成長させるのである。現代的給餌法では、豚は一日に必要な餌を、わずか二〇分で食べてしまう。こうした濃縮飼料はカロリーこそ十分だが、食欲は
およそ満たさない。
 ある研究者は、こう書いている。「濃縮飼料は、栄養上の必要は満たしながら、飢えを満たさない
ことが多い。さまざまな食べ物から最適なものを選ぶという強い固有の欲求、食べ物を探しまわるという欲求、そして食べ物とそれ以外を口で区別するなどの欲求は、現代的生産体制ではまったく満たされない」
 こうした濃縮飼料が豚の肉付きの点で素晴らしい働きをすることは言うまでもない。しかし濃縮飼料は豚の栄養上のニーズにあまりにも不適当なため、実際、彼らの内臓を痛めている。研究者が六〇〇〇頭の解体された豚を対象に調べた結果、五一%が肝臓に異常を持っていることがわかった。原因は濃縮飼料だった。(この章の紹介以上)