QOLを高めてがんと仲良く

 ──予後良好に期待されるEPAの力 EPAは、がんの予後を悪くする"慢性炎症”を緩和する

癌研有明病院 消化器外科医長 比企直樹先生

早期からの食事・栄養療法が 治療効果やQOL維持に重要!

 がんの苦痛を緩和する「緩和ケア」というと、「終末期ケア」と同義語に思われがちです。
 しかし最近、緩和ケアはがん治療の早期から適切に行うことが非常に大切であることがわかってきました。「がんを攻撃する治療」と「がんに伴う症状を緩和する治療」を併行して行うことにより、治療効果も患者さんのQOL(生活の質)も高められるからです。
 がんの患者さんを苦しめるさまざまな症状の背景には、「慢性炎症」があります。
 炎症が進むと、強いだるさや食欲不振が起きたり、全身の代謝機能が衰えて栄養状態が悪化したり、筋肉の萎縮や体重減少をもたらして身体活動が低下する──など、心身にさまざまな苦痛、衰弱、消耗を与えます。
 癌研有明病院の比企直樹先生は、患者さんのQOLを維持するには「治療の早期から十分なエネルギー補給と、炎症の抑制が重要」と話されます。
 比企先生は、胃がん腹腔鏡手術の名手として知られると同時に、20年前からがん患者さんの栄養サポートを重視され、癌研有明病院では全国に先駆けて栄養サポートチームを立ち上げ、栄養管理責任者としても活躍されています。
 その比企先生が、炎症抑制に注目している栄養成分が、魚油に多い脂肪酸「EPA(エイコサペンタエン酸)」です。
 比企先生に、EPAを中心に、食事・栄養療法を通してがんの苦痛を緩和し、QOLを維持することの大切さについてお話ししていただきました。

がんにおいても重要な 食事・栄養の摂取 がん発症から、治療、 予後QOLまで

──がんも生活習慣病の一つであり、食事・栄養との関連も深いことがいわれ、例えば食の欧米化で日本でのがんも欧米化したといわれていますね。
比企 発症に関しては、私の専門としている食道がんと胃がんに関しては、原因がある程度はっきりしています。
 食道がんは、アルコールとタバコ。アルコールの場合は、飲めるけれども顔が赤くなる人。こういう人はアルコールが分解しきれないためにアルコール毒(アセトアルデヒド)が体に残るわけです。赤くなるけれども飲んでいくうちに強くなっていく人はより危険性が高まり、さらにそういう人がタバコを吸う場合は100倍以上の危険率になるといわれています。
 胃がんは、ピロリ菌感染のない人はほとんどならないといわれています。ピロリ菌感染があると、慢性萎縮性胃炎の原因になり、萎縮性胃炎の状態に高塩分が加わると、さらに萎縮が進んだり、慢性炎症をもたらして、胃がんになりやすくなるといわれています。
 そういった意味で生活習慣、食べ物というのはとても大事です。
──先生は消化器外科がご専門ですが、栄養療法には昔から関心が深かったそうですね。
比企 栄養に関心をもったのは20年ほど前、中心静脈栄養法(TPN)発祥の地である東京大学医学部附属病院分院の助手時代に、先輩から「人が人に手を下したあとに何が起こるか。ご飯が食べられなくなるのだぞ。術後そのままに放っておいてよいのか」という外科医の心得を学んだことがきっかけでした。実際に、ご飯を食べられなくなった症例では術後の回復やQOL維持がはかばかしくない状況をまざまざと見せつけられ、栄養に携わることは患者さんの力になると確信しました。

食事をとって腸管を 働かせることの重要性 ──体に大火事を起こさない

──栄養摂取では、腸管を働かせることが非常に大切であると先生はいわれていますね。
比企 そうです。
 近年、術後の経腸栄養が入院期間の短縮につながるという報告もあり、術後24時間前後に経腸栄養の投与を開始するという試みもみられています。
 経口栄養のできない患者さんは長期の栄養管理に昔は、末梢静脈から栄養補給をしていましたが、高濃度ブドウ糖使用では血管炎を引き起こすなどのリスクがあり、生命維持に必要な十分な栄養供給は困難でした。
 1970年代、アメリカのダドリック医師が開発した「中心静脈栄養(TPN)」では、濃度の高い栄養を入れるために太い大静脈に管を入れ、そこに生命維持に必要な栄養(糖やアミノ酸中心)を輸液することで、ビーグル犬で長期生存を得たと報告されました。それが大変革となり、多くの患者さんが中心静脈栄養によって助かるようになりました。
 ところが近年、中心静脈栄養だけでは「バクテリアトランスロケーション」といって、腸管粘膜の防御機構(免疫機構)が破綻し、腸内のバイ菌や毒素が体内に侵入して体に悪さをすることがわかってきました。腸を使わない症例では、腸の粘膜はどんどん変化し、萎縮、脱落してペラペラになり、腸管免疫が破綻してしまうわけです。
 腸の粘膜はわずか10日〜2週間使わないと大きく変化してしまうので、絶食≠ニいう状態は体にとっては決して良いことではなく、そういう状態で抗がん剤を加えるとさらに悪くなり、ものすごい量のバイ菌や毒素が体内に入り込んで、実験的には敗血症まで起きることがわかっています。
 敗血症というのは、体の中で起きる大火事のようなものです。腸を使っていると大火事も起きにくくなるということで、消化管が機能さえしていれば、たとえご飯は食べられなくても、経腸チューブを使って経腸栄養剤を投与することで体の恒常性が保たれるわけです。
 さらに、静脈栄養だけで腸管を使わないことによる体への害作用は、侵襲(病気や怪我、あるいは手術や化学療法、抗がん剤などの薬剤投与で、生体の恒常性が乱されること)が加わることで促進されることもわかってきました。
 外科侵襲によって、代謝は亢進し、組織の修復を促すために神経・内分泌系、免疫系、代謝系など種々の生体反応が起こりますが、過大な侵襲は代謝の異常亢進をきたし、筋蛋白を分解することでエネルギー源を産生しようとする結果、内臓蛋白は枯渇し、さらに、侵襲直後から産生される過剰な炎症性サイトカインが全身性炎症反応症候群を引き起こしたりします。
 こうしたことから現在は、「経腸栄養」が「中心静脈栄養」に取って代わりつつあり、経腸栄養は、栄養改善のみならず、免疫の強化や、術後の傷の治りの促進、合併症予防などからも注目されています。
 使われる栄養素も研究が進んで、例えば手術前に、アルギニン、グルタミン、ω-3系脂肪酸(αリノレン酸→EPA→DHA)などの免疫栄養を加えて免疫を高めておくと、肺炎などの術後合併症が減るなどのデータも集まっています。私たちは食道がんの切除手術に、術前に免疫賦活栄養素を加えることにより、術後感染症の発生はそれ以前の症例に比べて38%から18%に、特に肺炎の発生は18%から6%になるなど有意に減少した結果を得ています(表1)。
 食べられなければ経腸栄養剤を飲む、それも飲めなければ管を使い、鼻から管を入れたり(経鼻経腸栄養チューブ)、胃瘻(胃に穴を開けて入れる)や腸瘻(腸に穴を開けて入れる)を用いて栄養剤を投与すると、体は恒常性を保って治癒に向かう可能性が高くなります。
 もちろんご飯を食べるのが一番良く、食べるということは、口から唾液やいろいろなホルモンが分泌されて消化吸収を助けますから、一番理想的です。
 経管栄養の期間を短くするために、手術2時間前まで糖水を飲んでいると、術後の安定や治療がはかどるということで糖水を飲む治療法も推奨されています。また、術後もなるべく腸を休ませず、早くご飯が食べられるように、栄養剤を早くから投与するといった治療法も盛んに行われています。
──それは、腸というのが免疫の最大の器官であることと関係しますか。
比企 もちろん関係すると思います。
 免疫は体の状態をすべて司っています。免疫は、体の傷の治りの良さとか、バイ菌に対する抵抗力などすべてを司っているので、体を正常な状態に戻すためには一番重要なポイントだと思います。
 腸を使うことによって傷の治りも早くなり、バイ菌や毒物などの異物にも強くなりますから、QOLの維持には腸を使って栄養をとることが大事になるわけです。
 そういうことから、何日も食べないダイエット、水分だけ飲むダイエット、炭水化物は全てカットするといった栄養バランスの悪いダイエットは体に悪さをしている状態が続くので、長期では生活のみならず健康状態を害す可能性もあり、おすすめできません。

治療効果やQOLの低下に 慢性炎症
慢性炎症はボヤ(小火) ──炎症をボヤで消し止め 筋肉減少を防ぐことが重要!

──がん患者さんのQOLの低下には、慢性炎症が非常に関係しているそうですね。
比企 慢性炎症とは、火事でいえばボヤのようなものが体の中で絶えず起きている状態です。慢性炎症が起こると体力も気力も落ちてきますので、QOLの維持が難しくなってきます。ですから、慢性炎症をコントロールすることによって、筋肉の萎縮や体重減少が抑えられ、QOLを改善できるのではないかと考えています。
 慢性炎症は、炎症性サイトカインといって、がん細胞そのものから分泌される物質や抗がん剤などが火種となって起きてきます(図)。
 また、がん細胞からは筋肉を壊す物質も分泌されます。それにより、主に蛋白質と糖が消費され、がん細胞は筋肉を壊してエネルギーを補うようになり、筋肉減少による体重減少が起きてきます(図)。体重減少は、ほとんどのがん種で起き、がん患者さんの約6割にみられます。
 筋肉が萎縮して体重減少が起きると、体力が奪われ、身体活動が低下すると同時に、抗がん剤などを分解・解毒する酵素の働きも弱くなるので、副作用が強く出たり、治療を続けられなくなる場合もあります。また、体重減少はがん患者さんの平均生存期間を短くしてしまうという報告もあります。
 慢性炎症が進行すると、「がん悪液質」とよばれる慢性炎症のなれの果てというか、炎症をボヤで消し止められずに大火事になったような状態におちいります(図)。悪液質になると、炎症性サイトカインがどんどん出て嵐が吹き荒れたような状態になり、体には大変な負担となり、辛い思いをして亡くなることになります。
 その状態にならないために、炎症をボヤで消し止めるにはどうすれば良いかという研究に、やっと今、少しずつ光明が見え始めたというところです。

慢性炎症の抑制に EPAを中心にした栄養管理
マイルドかつ全体的に 炎症を抑える栄養成分

──そこに、EPAが大いに期待できるというのですね。
比企 慢性炎症をコントロールできる物質には幾つかあり、中でも炎症をもたらすサイトカインを直接抑える方法(薬物療法)が期待されました。
 しかし、炎症性サイトカインは、炎症をもたらすと同時に感染防御にも働きますから、サイトカインを抑えるとバイ菌への抵抗力も落ちてしまい、敗血症が起こりやすくなるなど、なかなかうまく炎症だけを抑えるというわけにいかないのです。
 そこで、マイルドかつ全体的に炎症を抑えられる物質が栄養成分の中にないかということで今、EPAやカテキン、ミネラルのセレン、もしくはポリフェノールなどに注目が集まっています。
 そういった物質を上手に摂取して慢性炎症をコントロールしていくと、最終的な大火事状態の悪液質が抑えられたり、がんの成長にも影響して改善できる可能性もあるのではないかと考えられています。

期待大のEPA
炎症抑え、筋肉減少を防ぐ

比企 その中でもEPAは近年、炎症を抑える成分として注目されています。
 さらに、EPAは炎症を抑えるだけではなく、筋肉を壊してしまう物質の働きも抑えるという報告もされています。
 EPAを1日2グラムとることで体重減少を抑えることができるという海外のデータもあり、EPAの慢性炎症を抑える効果はかなり期待されています。
 ただし、EPAを魚から2グラム摂取するには、例えばサバの切り身3切れ、イワシ3〜4尾が必要です(表2)。
 EPAを効率的に補給できるサプリメントの活用で栄養管理されるのはおすすめできることです。患者さんの中には、そういったサプリメント(飲料タイプ)を牛乳に混ぜたり、凍らせたり、ゼリーにするなど工夫しながらEPAを補給している方もいます。
 とはいえ、私もEPAについては大いに期待はしていますが、臨床試験はこれからの段階です。

まとめ
──「命のスープ」と テーラーメイドの栄養管理

比企 これまでの話をまとめますと、慢性炎症を抑え、筋肉の萎縮を防ぎ、治療効果を高め、QOLを維持・改善するには、
腸管を使って栄養管理を行う。食べたり飲んだりすることで腸を使って栄養をとることはとても重要です。
筋肉を維持する栄養素の補給には、筋肉の素材となる蛋白質も重要になります。
炎症を抑え、筋肉の萎縮も抑えるEPAを積極的に活用します。その上で、可能ならば無理のない範囲の適度な運動で筋肉をつけることも大事です。
 最後に、近年はがんの治療においても一人一人に適合したテーラーメイド療法の必要性がいわれています。栄養管理においても個々の多岐にわたるテーラーメイドの栄養管理が大事で、私が管理している癌研有明病院の栄養サポートチーム(NST)でも、こちらの提案を押しつけるのでなく、一緒に考えるという姿勢でないと成り立たないと感じています。
 患者さんの「食べたい」という気持ちを伸ばしていくという意味で、私たちが試みている「命のスープ」は、私の患者さんのフレンチシェフの巨匠から「おふくろが余命3ヶ月の胆のうがん末期で、ご飯も食べられない状態だが、私の作ったスープを1回でも飲ませたいが無理か」という質問を受け「絶食といった先生には申し訳ないけれども、絶対喜ばれると思うから、ぜひ作ったら」と私が答えたことが始まりでした。母上は涙を流されて喜ばれ、半年ほどそのスープだけは何度も飲まれて亡くなったそうです。
 シェフから「レシピを全部教えるから僕のスープを患者さんに飲ませることはできないか」というボランティアの提案があり、そのスープを緩和ケアの患者さんや、経口摂取できない患者さん向けに提供できるシステムを整えて、お蔭様で好評です。
 こうした試みは「食べる」ことへのモチベーション(動機付け)としては「遊び」の部分ですが、経管栄養も含めて、何がきっかけとなって絶食状態から脱出できるのかということも人それぞれです。食べることが大事だからと無理強いしたり、また、食べられないことを絶望することなく、希望をもっていろいろトライしてみることも大事なことかと思います。