放射線ホルミシス

──低線量放射線の健康効果

財団法人 電力中央研究所 元名誉特別顧問 服部禎男先生

放射線ホルミシスの研究を主導された服部禎男博士

 米ミズーリ大学教授(現名誉教授)のトーマス・D・ラッキー博士が1982年に発表した「放射線ホルミシス──放射線は低線量ならば生体の生命活動を活性化する」という概念は、「放射線はどんなに微量でも生物には有害」という従来の考えとは大きくかけ離れ、放射線の安全性にかかわる世界中の研究者に大きな衝撃を与えました。
 とりわけ被爆国である日本にとっては衝撃的な概念で、学生時代に広島で原爆の爪痕を見て怒りを覚えて以来、原子力の安全性に生涯をかけて取り組まれ、論文が発表された当時は電力中央研究所(電力9社が出資設立した電力に関する基礎的な研究所)の初代原子力部長であった服部禎男先生は、アメリカに対し「これが本当なら米国として正式に発表せよ」という抗議の意見書を出されました。
 これをきっかけに、ホルミシスの公的研究が世界でなされるようになり、日本では服部先生をリーダーに、複数の国立大学や各研究機関でネズミやウサギなどの哺乳類を用いた実験がスタートしました。老化抑制効果、がん抑制の活性化、生体防御機構の活性化、遺伝子損傷修復機構の活性化──等々、従来の医学・生物学の常識を覆す研究成果は、世界を驚かせました。
 その後、2000年には電力中央研究所は「低線量放射線研究センター」を設置し本格的研究を開始、また服部先生もメンバーである「放射線と健康を考える会」では放射線の影響と安全性についての情報を提供、さらに岩盤浴を含めてラドン浴人気の高まり等もあり、放射線ホルミシスの理解は一般にも次第に浸透しつつあります。
 放射線ホルミシスを医療に応用したクリニックも開設され、本誌は2005年4月号(No.377)で、ホロス松戸クリニックの村上信行院長にお話を伺いました。
 今月号では改めて、服部禎男先生に放射線ホルミシスの健康効果についてお話を伺いました。

放射線の概念を覆した 「放射線ホルミシス」
━━研究の経緯
ラッキー博士のホルミシス説

服部 放射線ホルミシスの研究はミズーリ大学の世界的生命科学者、トーマス・D・ラッキー博士から始まりました。博士はNASAのアポロ計画で、宇宙飛行士が宇宙線(地上の数百倍の放射線)を浴びることの影響について研究を依頼され、膨大なデータを調べる中で"低レベル放射線は生命体を元気づける”というデータが多くあるのに驚き研究を進めた結果、「宇宙線レベルの放射線は宇宙飛行士に害はない」と結論したのです。
 博士はこの研究を「低線量放射線の生体効果」という論文にまとめ、200以上の参考資料をつけて米国保健物理学会誌(1982年12月号)に発表しました。
 論文のポイントは、低線量の放射線を体に浴びると元気になり、生殖力が高まり、長寿になる≠ニいうもので、この効果を博士は「放射線ホルミシス」と名付けて「自然放射線量の100倍の線量はむしろ有益である」と主張したのです(図1)。「ホルミシス」とは、ホルモンと同じ語源のギリシャ語「horme(刺激する)」に由来した言葉で、通常生体に有害な作用を示す物質も少量なら良い刺激を与えることがあり、この生理的刺激作用を指します。
 これまで、放射線の影響については、50年前に国際放射線防護委員会(ICRP)が採用し今でも勧告となっている──放射線はいかに微量でも有害であり、DNAは受けた放射線の量に比例して変異する──という「しきい値なし直線仮説(図2)」、すなわち、放射線量と影響の間には「しきい値(生体反応を起こす限界線量)」がなく、直線的関係が成り立つという説が基本的考えとされてきました。
 この、我々原子力関係者や放射線生物学の専門家の常識からは余りにもかけ離れたラッキー博士のホルミシス概念は、放射線の安全性にかかわってきた者にとって、いかに衝撃であったかがわかろうというものです。

相次ぐ、日本での 人や動物による研究成果 c 免疫系の応答── 低線量放射線と坂本法がん治療

服部 東北大学名誉教授の坂本澄彦博士は、すでに1970年代から低線量放射線の全身照射による免疫応答に興味をもたれ、動物実験などを経て、悪性リンパ腫や肝がんなど、手術や高線量放射線の局部照射だけでは難しい患者さんに、低線量X線の全身または上半身照射を併用されていました。悪性リンパ腫1000名以上の患者さんを対象にした治療実績は、従来の治療による生存率は50%であるのに対し、低線量放射線の全身照射を併用した治療では84%の高い生存率になりました(図3)。
 メカニズムとしては、重要な免疫系リンパ球のヘルパーT細胞の活性化が確認され、このヘルパーT細胞の増加は、オークランド会議後に1986年から実施されたUCLA医学部のマウスの照射実験でも確認されています。 a
がん抑制遺伝子
「p53遺伝子」の活性──
坂本法の解明 b
服部 電力中央研究所はこの坂本法の成功を、がん抑制遺伝子「p53遺伝子」の研究では世界トップレベルの奈良医科大学の大西武雄教授に、p53遺伝子から説明できるかどうか動物実験を依頼しました。その結果、マウスとラットを用いた実験で、脳、肝、脾、骨髄、副腎など各臓器の細胞内のp53遺伝子が、全身照射の数時間後には照射しない場合に比べて、数倍も活性化していることが確認されました(p53タンパクの定量分析)(図4)。 a
抗酸化酵素の増加
服部 体内で生成される活性酸素は、@DNAを傷つける、A細胞死の引き金となる、B細胞膜を酸化させ膜の透過性を悪くするなどの害作用により、老化やほとんどの病気の原因になっていることが明らかになっています。一方で、生体はこの活性酸素の害を防ぐための酵素(SOD、GPx、CATなどの抗酸化酵素)をつくっています。
 山岡聖典博士は、アルツハイマー病など脳の老化と活性酸素の研究で名高い岡山大学の森昭胤教授の指導で、ラットに100〜500ミリシーベルト程度の低線量X線照射実験を試みたところ、SODは照射後4時間で増加し、その後8週間にわたって濃度が維持されたことを突き止めました。
 また、東京大学先端研では、GPxの応答に着目してマウス実験したところ、SODと協働して活性酸素を抑えるGPxでも同様の結果が得られました(図5)。 a
細胞膜の若返り──
難病治療へも期待が
服部 低量放射線でSODなどの増加を確認後、さらに脳、肝、脾などの細胞膜の過酸化脂質の量や膜の流動性を、電子スピン共鳴で測定したところ、明らかに改善されて細胞が若返っていました。
 65週齢の、人間でいうと65歳にあたるネズミが、20歳かと思えるほどSODが増え、細胞膜の透過性も良くなり(図6)、過酸化脂質も減り、さらに効果が持続するという結果に、この研究以降、1990年あたりから研究会の参加大学が急速に増えました。
 リウマチ、アルツハイマー、パーキンソン、アレルギー、糖尿病、腎障害、高血圧、膠原病など、難病の多くは免疫異常などにより、局部の細胞が活性酸素によって傷害されることで進行します。低線量放射線で、抗酸化酵素が増え、細胞膜の過酸化脂質が減少し、膜の透過性が回復することは、脳や内臓、血管などの機能の回復による難病の改善や若返りまで期待できるというものです。 a
各種ホルモンの増加──
ラドン泉効果
服部 ラドン濃度が最も高いといわれる日本のラドン泉の一つ、池田鉱泉(三朝温泉の西)水を用いて90分間ラドン水を強制吸入したウサギは普通の水を吸入したウサギに比べ、各種のホルモンの分泌が明らかに増加していました。
 我々の体では、副腎、脳下垂体、視床下部などからホルモンがつくられ、このホルモンによって体調や精神がコントロールされています。例えば、アドレナリンはやる気ホルモン、メチオニンエンケファリンは痛みを緩和する鎮痛ホルモン、ベータエンドルフィンは幸福感ホルモン、インスリンは血糖を適切に細胞内に移行させてエネルギー生産をさせるホルモンです。これらのホルモンが全て明解に増加することが確認されたのです(図7)。

放射線と しきい値(許容量) c 放射線とは

服部 放射線は、科学的には「電離放射線」という場合が多いように、放射線が走ったところには膨大な数のプラスイオンとマイナスイオン、そして軌道から飛び出して自由になったたくさんの電子が発生します。反応性の激しいヒドロキシラジカルもつくられます。
 身体も食べ物もみな分子でできていますが、分子は原子の集まりで構成され、原子は原子核の回りを電子が定められた軌道に沿って回っています。
 何個の電子が回っているかは、原子核の個性で決まり、例えば、酸素の原子核は16個の粒でできていますが、電気的に中性の中性子8個と、プラス1の電荷を持っている陽子8個で構成されているので、原子核そのものはプラス8の電荷を持っています。電子は1個当たりマイナス1の電荷を持ち、プラス8の原子核が中性になるまで電子は集まって来ますから、原子核の回りには結局8個の電子が回っているのが酸素の原子です。
 このように、陽子と中性子が適当に集まって原子核をつくっているのですが、陽子と中性子の数の関係で、非常に安定な原子核と微妙に不安定な原子核があって、この不安定な原子核は少し何かエネルギーを放り出せば安定になれるのだという動きをします。
 この自ら安定になるために、エネルギーを放り出すのが放射線です。原子核の不安定さの状況に応じて、出てくる放射線にはいくつもの種類があり(図8)、そのうち地球上の自然放射線(図9)の主なものはα線、β線、γ線の3種類です。

放射線ホルミシスの 医療への応用 c がんの患者さんへ

服部 @フランス医学アカデミーが細胞実験で、自然放射線の10万倍程度以下ならDNA修復はパーフェクトになされ、アポトーシスまで考慮すれば細胞損傷は残らないといい切ったこと、A電力中央研究所で、1ミリGy/Hr程度の線量率照射を続けると免疫系その他への驚くべき効果があることが発見されたこと──この両者からまず考えられることは、がんの末期で従来法でもはや絶望的と判断される患者さんに、この自然放射線の1万倍に近い線量率のCs137γ線を適用して助けてあげられることはできないのかということです。私はその可能性は
大いにあると思います。
 臨床的にも実証されている坂本澄彦博士の坂本法(10センチGyを週3回で5週間、または15センチGyを週2回で5週間)は十分活用できるはずです。
 さらに、温熱療法(ヒート・ショック・プロテイン療法)との組み合わせは、優れた臨床応用の方法であることは確実のように思われます。
 もちろん、運動やマッサージなどで血液循環を良くすることも必要ですし、薬との相乗効果もこれからの研究課題であることはいうまでもありません。