ミネラルの薬理作用と生体利用

セレニウム、バナジウムにみる抗ガン作用、インスリン様作用

京都薬科大学教授 桜井弘先生

予防薬、治療薬としてのミネラルの可能性

 微量栄養素のミネラル(無機元素)のうち、生体内にごく微量しか存在しないが、生命維持に不可欠な元素が必須微量元素である。
 近年、多くの微量元素の生理作用、薬理作用が明らかにされ、必須微量元素の数も増えて来た。
 かつては有毒元素とされたセレニウムもその一つである。また、バナジウムなど未だ必須微量元素と認められていない元素の中にも、薬理作用のあることが次第に明らかにされつつある。
 桜井弘先生は微量元素と健康との関連、特に微量元素の薬理作用を研究されている。セレニウムの抗ガン作用、インスリン様作用、バナジウムのインスリン様作用等の研究からは、元素の予防・治療薬としての利用、開発も考えておられる。今月は、桜井先生にセレニウム、バナジウムの薬理作用を中心に、ミネラルの生体利用についてお話を伺った。

セレニウムとガン セレニウムの 水銀毒性軽減作用から 推測された シスプラチンの副作用軽減

・・セレニウムが水銀毒性を軽減するところから、白金を含む抗ガン剤シスプラチンの毒性軽減作用が推測されたのですね。
桜井 マグロは生物濃縮で体内の水銀濃度がすごく高くなっているにもかかわらず、平気で泳いでいます。アメリカで調査された結果、マグロには水銀とほぼ同じ量のセレニウムが含まれていることが分かりました。
 その研究から動物実験が始められ、致死量の水銀を投与する時、同時にセレニウムも投与すると死ななくなるというデータが相次いで報告され、セレニウムは水銀中毒に非常に意味があることが分かって来ました。1970年代初め頃ですね。
・・セレニウムと水銀が体内で1対1であると、水銀の毒性が発揮されない?
桜井 そうですね。我々もいろいろなセレニウムの錯体を作って実験した結果、水銀とセレニウムは1対1で体内に存在すると毒性が出ない、或いは軽減することを突き止めました。
 その後、シスプラチンという白金の錯体からできた抗ガン剤が強力にガンに効く、しかし毒性も強いという問題が出て来まして、その時にシスプラチンの毒性をセレニウムが下げるという報告がされたのです。
 それで、我々も動物実験でセレニウムのシスプラチン毒性軽減作用をテストしたところ、同じ結果を得たわけです。
・・シスプラチンの毒性は白金によるのですね。白金と水銀の毒性は似た様なものなのですか。
桜井 いえ、全く違います。
 有機水銀は主に神経毒性を発揮します。
 有害物質は通常、脳血液関門(血管内皮細胞と脳のグリア細胞)でストップされ、脳に入り込めないようになっています。ところが、グリア細胞は脂溶性の高い細胞が多く、そのため血液に溶けた有機水銀(脂溶性)がグリア細胞に接触すると、積極的に脳の中に取り込まれ、脳に障害を与えると考えられています。
 一方、白金は腎臓や肝臓周辺、特に腎に障害を起こします。
 白金は蛋白質や核酸に結合しやすい金属で、一旦、蛋白質や核酸に結合するとなかなかはずれない性質を持っています。そのため、白金が正常細胞の核酸に結合すれば障害を起こし、ガン細胞のDNA(デオキシリボ核酸)と結合すれば、ガン細胞のDNAの合成や増殖をストップすることにもなるわけです。
・・シスプラチンは正常、異常の両細胞に作用して、副作用を起こしたり、ガンをやっつけたりするわけですね。
桜井 そういうことです。ガン細胞に特異的な白金化合物が見つかればいいわけで、いろいろ研究されているところですが、今のところ見つかっていません。
・・セレニウムの、水銀や白金に対する毒性軽減はどのような働きによるのですか。
桜井 まだ良く分かっていないのですが、恐らくシスプラチンも水銀の場合も、セレニウムと結合して毒性を下げている、何か新しい化合物になってそれが全体に蛋白質に取り込まれている可能性が大きいと思われます。

セレニウムの抗ガン作用

・・先生はセレニウムがガン細胞を抑制するデータも得られていますね。
 抗ガン作用というのは、ガン細胞の増殖を抑えるだけでなく、ガン細胞そのものを縮小、なくす作用も指すのですか。
桜井 そうです。ガン細胞の成長をストップさせたり、数を減らしたりして、正常細胞を増やして行くということですね。そういうことが、ガン細胞を移植したマウスを用いた実験で、直接観察されました。
 この実験は、各3匹8群に分け、シスプラチン、セレニウムを投与して検討しました(表1)。
 その結果、殺ガン効果は・群の「シスプラチン単回+セレニウム連続投与群」が最も高く、各組織の白金濃度が高くなったばかりでなく、セレニウムだけを同じ量、同じ回数投与した・群に比べ、セレニウム濃度も各組織で約2倍となりました。この時のセレニウムと白金の比はおよそ2対1でした。
・・ということは、セレニウムは白金の毒性を弱めるだけでなく、白金の抗ガン効果を高める作用もあるのですか。
桜井 あるかもしれませんね。
・・セレニウム自身の抗ガン効果が、相乗効果を及ぼしたとも言えますか。
桜井 その可能性も十分考えられます。・群のセレニウム単独投与でも結構ガン細胞を抑制していますので、セレニウムだけでも結構効くわけです。
 ただですね、抗ガン作用だけを見ると、シスプラチンを大量にボーンと一度に与える方がよく効くのです。・群、・群は大量のシスプラチンを単回投与していますね。こうすると非常に効きます。当然、毒性も高まりますが。
・・セレニウムの大量単回投与でも抗ガン、毒性と共に高まりますか。
桜井 恐らくそうだと思います。
・・それでは、シスプラチンとセレニウムを同時に大量投与すれば、抗ガン効果も高まり、シスプラチンやセレニウムの毒性も拮抗されて、副作用も少なくなる可能性がありますか。
桜井 推測としては可能ですね。但し、大量単回投与は、今の段階では、動物実験でしか成り立たないことです。

セレニウムの抗ガン作用は…

・・白金はガン細胞のDNAと結合して、増殖や合成をストップするとのことですが、セレニウムの場合は?
桜井 それがまだはっきりしない、それを調べないといけないのですね。
・・抗酸化作用によるのではないかと言われていますが…。
桜井 セレニウムの基本的な役割は金属酵素グルタチオンペルオキシダーゼの活性ですね。
 グルタチオンペルオキシダーゼは活性酸素の一つ過酸化水素を消去したり、脂質の過酸化を抑えたり、過酸化物の分解に働く酵素で、ビタミンEとよく似た働きをします。
 ガンは活性酸素と深いかかわりを持つと考えられているのでセレニウムの抗ガン活性は、グルタチオンペルオキシダーゼの抗酸化作用が働いているという推測もあります。しかし、まだ証明はされていません。
 それ以外に、セレニウムのいわゆる薬理作用といった働きが毒性を下げたり、抗ガンに働いている可能性も考えられます。
 セレニウムの抗酸化作用については、DNA、或いは蛋白質なりにセレニウムが取り込まれているかどうかを調べてみないと分からないのですが、その実証は中々難しいのが現状です。
・・先頃報道された、NCI(米国立ガン研究所)の中国リンシャンでの臨床実験では、セレニウム、βカロチン、ビタミンEの併用投与で、ガン死亡率が下がったということですが、これは全て抗酸化物質ですね。
桜井 そうですね。確かに死亡率が下がっているようですが、人を使った実験ですから、難しいところですね。ガンの種類によってもこれらの物質の働きが違いますので、きちんと検討しないと何とも言えません。

糖尿病における セレニウム、バナジウムの インスリン様作用

・・先生のご研究では、セレニウムは糖尿病にも有効だそうですね。
桜井 インスリン依存型の糖尿病では今のところ、インスリンの注射で血糖値を下げるしか方法がないのです。経口投与で血糖値を下げる薬があればいいということで研究しています。我々の研究では、バナジウムとセレニウムの2つが糖尿病に効くということが分りました。
 これらの微量元素を金属イオンの形、或いは錯体といっていろんな有機化合物をくっつけた形にして、それを投与すると血糖値が下がるんですね。
・・どのような働きによるのですか。
桜井 細胞にはグルコース(糖)を取り込む機構があります。糖尿病では、インスリン作用不足などで細胞にグルコースが入っていけず、血糖値が高くなります。
 私達はこれらの微量元素は細胞に働いて、細胞のグルコースを取り込む酵素系を活性化すると捉えています。
 細胞を取り出して調べたところ、全身の細胞に微量元素が行き渡っているので、恐らく細胞全体に働いて、細胞が糖を取り込むような働きを活性化していると考えています。
・・セレニウムもバナジウムも大体似たような働きをするのですか。
桜井 はい、糖尿病に対しては非常に良く似ています。
 バナジウムは非常に微量で働く元素で、ちょっとでもオーバーすると毒性を発揮しますが、それでも血糖値を下げるという非常に珍しい元素です。量をコントロールしながら動物に与えますと、血糖値がわーっと正常値にまで下がって来ます(図1)。
・・セレニウムとバナジウムは似た元素ではないですね。
桜井 糖尿病に対しては似た作用をしますが、元素それ自身は全然似ていません。どこでどうなっているか、これもまだ良く分かっていないのです。

微量元素の生体利用 最適濃度

・・先程水銀や白金の毒性を伺いましたが、セレニウムやバナジウムも過剰摂取すると毒性を発揮しますね。
桜井 水銀などは有害金属に位置付けられていますが、かつてはセレニウムもそうでした。近年、その生理活性が分かり、今は必須元素になっています。バナジウムは人ではまだ必須とされていません。どちらにしても、量を越すと毒性が出て来ます。
 必須微量元素は「最適濃度」といって、生体にとってベストな濃度があります(図2)。セレニウムやバナジウムはこの範囲が非常に狭く、特にバナジウムはセレニウム以上に狭いのです。
 例えば銅とか鉄、或いはマンガンなどは最適濃度の範囲が比較的幅広い元素で、割と安心して投与出来ます。一方、セレニウムなど最適濃度の範囲が狭い元素を投与する場合は、その範囲内に収めるのは高度な技術がいると言われます。

微量元素の必須性と毒性

・・セレニウムの毒性は?
桜井 セレニウムの毒性はかなり昔から知られていて、マルコポーロの『東方見聞録』にそれらしい記述がある位です。中国では土壌中のセレニウムが大変高濃度に含まれている地域があり、そこでは動物が早く死んだり、爪が曲ったりして、遊牧民は昔から体験的にそういうところには近寄らなかったらしいですね。アメリカでも西部劇によく出て来る荒涼とした赤い土壌に多く含まれており、やはり動物があまりいない。こういうことからセレニウムの毒性は割と早くから研究されていました。
 一方、セレニウムが少ない土壌地域では、心筋に異常を起こす克山病、骨に異常を起こすカシン・ベック病、またガンの多発などが疫学調査され、その必須性がクローズアップされてきたわけです。
・・金属は全般的に、人体毒性を持つと言えますか。
桜井 そうですね。過剰に取り込まれると毒性を発する一方、微量ではなくてはならないもので、適当量というところが難しいのですね。
 水銀やヒ素などは有毒元素とされていますが、基本的には元素周期率表にあるものは生体にとって全て必要とも言われています。我々の生命は地球から生まれて来たので、地球の良いものを全部使っていると思われます。それを証明しきるには随分時間がかかると思いますが…。

予防薬・治療薬の可能性

・・適正量、許容量は、飲む人にとっても違ってきますか。
桜井 そうです。また、その人の生理的な状況にもよります。病気の時と元気な時でも全然違うと思います。
・・しかし、先生のご研究も、いずれは微量元素を薬として?
桜井 そうです。なるべく微量元素を含む薬を開発していきたいと考えています。バナジウムではその錯体の開発にいきつつあります。安全性をさらに確認した上で、いずれはお医者さんとの共同研究で、臨床に踏み込みたいと思っています。
・・かなり強い薬が人体実験的に使われて副作用が騒がれています。
 こういった微量栄養素、ミネラルを薬にしたものではもっと安全と思えるのですが、それでも中々踏み切れないのですか。
桜井 薬の開発では薬理作用が顕著で短時間で評価しやすい、しかし、微量元素ではそう短時間では評価が出ない、1年とか2年とかかかります。その間に生理状態も変って来るのでデータが出にくいということと、お医者さんはそう粘り強く何年も待っていられないということがありますね。
 また日本の場合は、金属イオンが公害の元凶という捉えられ方があるので、それも薬を開発する時の一つのバリアになっています。

微量元素と健康 日本では 認められている元素が 非常に少ない

・・微量栄養素としての元素は健康に重要にかかわっているのですね。
桜井 近年、多くの元素の生理作用、薬理作用などが明らかになって、その必要性、重要性が各方面で叫ばれています。
 この表(表2)にあるように、諸外国では非常に多くの元素の必要性を認めています。特にアメリカ、ロシアでは10代、20代、30代という具合に、年代別にもきちんと必要量を出しています。
 ところが見て分かるように、日本では決められている元素がごく僅かです。特に重金属は括弧付きになっています。これは赤ん坊が粉末ミルクだけではどうしても亜鉛や銅が欠乏し、そのため、粉ミルクに関しては添加して良いとされているのですね。こういう現状ですから、他の金属は言うに及ばずです。
・・これは研究の遅れというより、公害日本の金属アレルギーとでもいうものが、原因となっていますか。
桜井 栄養摂取の実態調査の遅れ、金属に対する偏見、両方あると思います。
 それと日本の場合、食生活の多様性からも来ていると思います。摂る食品の種類がすごく多いですから。
・・厚生省が毎年行なう国民栄養調査でも微量元素はごくわずかですね(鉄のみ。マクロミネラルとしてカルシウムがある)。
桜井 問題ですね。私は常々、もっと多くの元素について調査しなければいけないと言っています。
 元素の必要量を出すためには食生活をまず分析し、日本ではどんな元素が欠乏傾向にあるかなどをチェックする必要があります。これを出す迄には、日本は随分時間をかけなければいけないですね。

病気・老化予防としての ミネラルの摂取

・・セレニウムやバナジウムを日常の食生活に取り入れることで、ガンや糖尿病の予防は可能ですか。
桜井 そうなって欲しいですね。栄養のバランスをとった上で、こういったものを多く含んだ食品を沢山摂るなどして、予防に向けられればと思います。
・・所要量や目標量は欠乏症を来さないためのもので、ミネラルの、例えば抗ガン作用とか降血糖作用とかの薬理性というか機能性を発揮する上では少な過ぎると言われていますね。
桜井 そうですが、その量を決めるのは非常に難しいでしょうね。人の生理状態によって随分違いますからね。
・・しかし、高齢につれて体のいろいろな機能が衰え、糖尿病にもガンにもなりやすくなるわけですけれども、やはり40歳を過ぎた頃からミネラル、ビタミンの微量栄養素は言われている量よりもっと摂った方がよいと言われますね。
桜井 ここに先見的な研究があります。最も老化の激しい器官は目とか皮膚ですね。これは死んだ方の水晶体の微量元素を測ったものですが、大変良い着目の研究だと思います(表3)。
 この研究では、重要な元素は年齢が高くなるにつれ、やはり減っていることが分かります。鉄では10代は18が、50歳から60歳では1、70歳になると0・25ですね。亜鉛は17、1、0・02、銅も減っていますね。マンガンでは横這い、コバルトは何故か老齢になると増えていますが、このように、金属によって動き方が違います。
 銅や鉄、亜鉛など体に沢山あるミネラルが減って来るというのは、やはり、体の機能の衰えにつながると思います。やはり何らかの形で補給してやらなければいけないとは思います。
・・セレニウムは増えていますね。これは、水晶体では、よりセレニウムを必要としたからと言えますか。
桜井 セレニウムというのは光に関係しています。写真のフィルムには全部セレニウムが入っています。目に何らかの形でセレニウムが必要とされていると思われます。
・・水晶体に持っていかれてしまうと、血中のセレニウム濃度はその分、減ってしまいますね。
桜井 減って来ますね。そうするとやはり補わなければいけなくなりますね。
・・やはり老化に伴って、ミネラルなど微量栄養素はもっと摂らないといけないんですね。
 野菜などを沢山食べればいいのでしょうが、現在、市販野菜のビタミン、ミネラル含有量は四訂成分表より大分少ない傾向にあることが調査されていますね。
桜井 土壌の影響でしょうね。農業を始めて凄い時間が経っています。そうすると毎年毎年収穫しているわけですから微量元素がどんどん減って来る。ところがいろいろな有機肥料はどんどん入れても、無機元素は全然補給していない。だから最近の野菜は駄目だということで、金属イオンを補給している畑があるそうです。そうすると、そういうところの作物はすごく出来がいいという話ですね。
・・人間も、年を経るにつれて微量元素の補給を考えなくてはいけませんね。貴重なお話ありがとうございました。