東洋医学の本来相を目指して

一生は一日を以て観ぜよ
一日を良く生きるは、一生を良く生きる

漢方・思之塾 伊藤 真愚先生

信州伊那・思之塾
日本に根づいた東洋医学を目指して
―東洋医学の本来相―

 「東洋医学は、全体と調和を図ることが本来の姿であり、更に調和のみならず、自然思想に裏打ちされた癒しと治療でなければならない筈です。
 そこで、我が国に於ける東洋医学の歴史を参照すると、仏教と密接に結びついて一国の医療を支えてきた千数百年間の像が浮かんでまいります。」
 「鎌倉時代においては、僧、忍性の極楽寺に於ける施療、性全等の活動も又有名です。江戸時代に於ける白隠の医療活動に目を向けた時、宗教との密着性には、今私達が学ぶべき向上向下の両門が示されています。爾来、幾百年に亘り、その伝統は受け継がれて日本の医療を支えて来ました。けれども、伝統医療は西洋医学流入とともに廃れ、身体不自由者への授産としてのみ細々と伝えられておるような現状ではないでしょうか。
 東洋医学の本来相は、決してそのようなものではありません。仏教と混然一体となり、その思想、哲学、養生、学問、技術を確立した一大大系であり、その拠るところは『黄帝大経』『傷寒論』『神農本草経』『易経』をはじめとする古典に明らかです。
 私達は、千数百年間培われた来た東洋医学の仏教に於ける医療技術部門の伝統に則し、日本における東洋医学の本来の伝統を復活させつつ、近代の医療的混迷部分の打開に貢献しようとするものです。」
(『東洋医学における仏教的な実践家の集いについて』及び『仏教者であり医療関係に従事しておられる方々への発願文』より抜粋)
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 信州伊那。国道に別れを告げ、天竜川を渡って松の山林に入り、少し登ると、台地が急に開け、茅茸きの思之塾があった。
 「漢方・思之塾」は、伊藤真愚先生の年来の宿願であった東洋医学の教育の場であり、また天地人の合一を理想とする自身の生活の場である。信州の大自然のただ中、ここ思之塾に於いて、玄米菜食、座禅、施療、弟子の育成…と、伊藤先生の人としての暮らしが日々営まれる。
 我が国に、中国医学が仏教と共にもたらされて以来、千数百年間に亘って独自に培われた日本的東洋医学の道――魂の救済と身体の治癒とが混然一体となった癒しの道――をきわめつつ、その普及と実践に日夜精進している伊藤先生に、本来あるべき自然に即した"人の暮らし方"、"生き方|死に方"を、一日のサイクルを通して、お教え願った。

一生は一日を以て観ぜよ
一日は一生、
一生は一日

 東洋医学では、「一日は一生、一生は一日」ととらえています。
 陰陽から生命を展開すると、一日と一生の循環は全く同じで、夜と昼で一日、死と生で一生となります。
 また、一日の中には、一年の四季、さらに死後のこと全てが凝集されています。
 人生及び一日は、
一、陰中の陽の期―夜明けに一番鶏が鳴く時から日の出までの時間で、人生では胎内にいる時期
二、陽中の陽の期―日の出から午前中で、人生では誕生から六十歳の還暦までの、生気溢れる最も盛んな時期
三、陽中の陰の期―午後から暗夜まで、人生では六十歳を過ぎて死ぬまでの時期
四、陰中の陰の期―睡眠に入る時間帯で、人生では死の永眠期|の四期に分けられます。
 一日の生活は、夜の眠りに支えられて昼の活動が行われ、昼間の活動に支えられて夜の眠りに入ります。この対立する夜と昼が統一されて一日となり、夜昼夜昼と永遠に循環していきます。一生も、生死の一対で一生となり、夜は必ず明けて朝を迎えるように、人生もまた翌朝としての次の生を迎え、生死生死と輪廻していくのです。
 私達は、死も生も、現在只今の生活の中で、日常生活の感覚を広げて悟ったものを確信していく以外にありません。人生の途上で分らないことにぶつかったり、死に不安を覚えたりする時、一日を一生と観ずれば、自ずと答えがでてきます。
 一日を一生と捉え、「これでよし」という確信に裏付けられた一日を毎日積み重ねてゆくことで、充実した、心から満足する一生を送ることができるのです。

▼朝(生誕)

 目覚めは、人生では生誕の時です。新生の第一歩である目覚めの時は、別世界からきた感覚にとらわれることがあります。現実にすぐ戻らないで、子宮の中で安全無事に護られていた幸福の感覚、生まれたてのみずみずしい情感をしばらく味わい、この感覚を日常の荒波の中でも保つことができるようになることが大事です。
 目覚めの感覚をしばし味わってから、体を動かし、読経や詩吟などで大きな声を出すことで活力がみなぎってきます。

▼午前中(零歳から六十歳)

 日の出から昼の十二時までは陽気だけの時で、人生では零歳から六十歳までにあたり、午前六時が零歳、午前七時が十歳、午前八時が二十歳…、十二時で六十歳となります。
 このように六十歳の人生を六時間に凝縮すると、この時間の過し方がわかってきます。
・午前中(還暦までに)に、主な仕事は終える。
・午前中に大きな仕事に真正面から取り組む。
・午前中に走りまわって解決する
・午前中にいやな仕事を片付けてしまう。
 午前中に仕事をすませるのは、現代ではなかなか難しいことですが、自然の摂理に基づいた午前中の過し方を知り、少しでも心掛けることによって、これから来る午後(晩年)が楽になります。

 午後は二期に分けて考えます。
一期は昼から夕暮れまで、二期は夕方から夜までです。人生では酸いも甘いもかみわけた円熟の時です。
 陽と陰がまじるこの時は、陽気と陰気を合せて行動するのが自然にかなっています。
 陽気の多い一期は、思慮深く、周囲の状況をよく観察し、それに素直に従って仕事を進めてゆきます。
 陰の気が強くなる二期は、動物ではねぐらに帰る時で、人も帰宅し、休息の準備にとりかかります。人生では「囚」の時で、外に出ず静かに思索をめぐらし死を迎える準備をする時にです。この時間は、たとえ悩みや葛藤があっても、それに対抗してはいけません。ただ忍んで内に納め、大きく包んで休息します。

▼夜(永眠期)

 夜は万物が休息する時間で、人生では終末の時になります。
 眠気を覚え、「さて、寝ようか」と自然に眠りに入るのが安眠ならば、死を察知し、「さて、死のうか」と自然に迎えた死こそ尊厳死、安楽死といえるでしょう。
 安らかな休息、安らかな死を迎えるには、「囚」の時をいかに過すかにかかって来ます。
 陰中の陰である、夜は邪にとりつかれやすい時です。人を批判したり闘争したくなる気分になりがちですが、心を鎮める工夫が大事です。

五十歳からのボケ防止
―ボケ防止の秘訣―

 さて、尊厳死ということで、皆さん最も不安なのは"ボケ"でしょうか。
 皆さんは、ボケの防止に何を思いつかれるでしょう。
 ボケを防ぐの秘訣は、来世に希望を持つことです。
 一日を終え、眠りにつく時、一生では死を迎える時にあたります。この眠りにつく時に、ふとんの中で自分の希望する来世を心の中でイメージするのです。
 五十歳を過ぎた方は、自分が希望する来世の人生――今度生まれる時は男になろうか女になろうか…、どの国のどんな両親の下に生まれようか…、どんな職業に就こうか…などと、来世の一生を楽しく描きながら眠りにつきます。
 また、来世とは、すぐの明日でもあり、未来でもあります。若い人なら、かくありたいと希う明日の、未来の人生を、心の中で活き活きと描いたらいかがでしょう。。
 毎日、毎日、こうして眠りつくことで、安らかに一日(一生)を終え、希望に満ちた新しい明日(来世)を迎えることができます。
 明日(来世)に希望を持てる人は、決して惚けることはありません。
 (インタビュー構成功刀)
※伊藤真愚先生の本
『東洋医学の知恵』『胎教』『さて死ぬか』(柏樹社)『第二の脳で生き方を変える』(KKベストセラーズ)『心と体の健康百科』(佼正出版社)
※始めて読まれる方は、『心と体の健康百科』から読み始めると理解しやすいでしょう。日々の養生で参考になるヒントを沢山得られることと思います。